#4 期待するということ というお話

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私事ですが

最近になって、他人に期待するのって意外と無駄だなって思ってきまして。

学生生活を送っていた頃も、どうしてあいつはああなんだ、とか

どうすればこいつは〜みたいなこと思うことはありましたが、

これは私が自覚している以上に期待を寄せすぎていたんだなぁと気づきを得ました。

期待というのを調べましたが、こんな感じでした。

き‐たい【期待】

[名](スル)あることが実現するだろうと望みをかけて待ち受けること。当てにして心待ちにすること。

コトバンクよりデジタル大辞泉https://kotobank.jp/word/%E6%9C%9F%E5%BE%85-50805

上の意味に他人という要素を組み合わせることで、

「(他人に対して)あることが実現するだろうと望みをかけて待ち受けること。当てにして心待ちにすること。」

というニュアンスが完成するんですね。引用使えて偉いぞ私。

不確定要素と体力気力

私が一番信用している言葉ランキング何位か〜!

筋肉は裏切らない

似た言葉で、「努力は裏切らない」というのもあるそうですが、私の“人生の選択”においては失敗の方が多かったかなぁと思っているので、除外!

筋肉はなぜ裏切らないのか、それは、筋トレをやればしただけ、必ずと言っていいほど結果が出るためです。

もちろん運動量やその人の食事、個人差などあって100%同じ結果が保証できるわけではないですが、何かにおいて成功したいのなら、数ヶ月でも続ければ結果が出る筋トレがおすすめなのではないでしょうか。

しかしながらです、他人に何かを期待するというのは、筋トレしたけど結果がでるのは他人次第で、場合によっては筋肉が衰えてしまうかもしれないハイリスクな行為なのですよ!?

そこに費やしたかもしれないお金や時間は無駄となり、筋トレなどをした体力、裏切られたときの気力が削ぎ落とされた感じ、失った総量は並大抵ではないでしょう。

過去の失敗をも愛そう

まあ今まで言ったのは言い過ぎですよ、もちろん。怖いね!

日本というのは優しい人が多いんですね、期待を上回る結果がでることもあります。

ハイリスクというのはあくまでも私から見た評価ですので、中途半端に読んで変に感化されないようお願いします。

期待をして失敗した何年間。それを忘れることはないと思いますが、

今後を楽に生きるために抱え込みすぎていた期待という荷を、少しは下ろして生きていこうと思います。

ということで今日の自堕落はおしまい。

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