何ゆえに変わらないか
ここでは環境(まわり)を客体、自分自身を主体としてお話しようと思います。
なぜ客体は変わらないか、というお話ですね。
結論から言わせて貰えば、わからないっす。
私の体験でいえば、何を話しても伝わらないということがあり、それがまさしく私の戸籍上の親どもです。
何年も前からずっと続いてきた水掛け論のような争いでしたが、結局は変わってくれることはなく、戸籍上の弟と3人仲良く暮らしてますね。私などいなかったかのように。
今となってはそんなことどうでもいいので早く一人暮らしがしたいって気持ちで悶々としています。
だから私はタメと女性と大人は嫌いです。
流石に疑問を投げつけておいて、わからないで終わらせるのも微妙ですので考えはしたのですが、わからなかったです。
私が変わらないと感じた時というのが
主体(自)▶︎客体(親)
主体(自)▶︎客体(学校の先生)
これらの場合だったのですよね。逆も然りかもしれませんがね。はは
あえて言えば客体が大人だということでしょうか。
これだから大人は()
ですが唯一尊敬する大人の先生がいるんですよ。
彼です→ (◠ڼ◠)
自分が変わるしかない?
客体が変われないのは証明済みなので、主体が変わる他なくなってしまいましたね。
まあ正直なところ方法はこれしかないと思います。
先生がダメだったので学校を辞めましたし、戸籍上の親どももカスだったので隔離して生きています。
所詮他人なんてこんなものだと思いますよ。責任を負えない脆弱な生き物なのですから、自分も含めてですが。
自分が変わるとて、早く大人にならないと何もできないのでできるのなら速攻で大人になりたいところです。
期待はしないほうがいい
今は自分以外の全てには期待をしない方がいいと思って生きています。
若い時期というのは、いい意味でもそうでない意味でもピュアな時期なんですよ。
(いるかもしれない)わる〜い大人に騙されたり絆されたりするかもしれないので、今のうちから期待せずに静かに生きようと思います。
ちょっと恨みつらみを書きすぎてどうにかなってしまいそうなので今日は早めに寝ます。
ということで今日の自堕落はこれでおしまい。

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