♯3 高校生という名の柵(しがらみ) というお話

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リードか足枷か

リード、というのは犬などがどこかに行ってしまわないように制御するための道具ですよね。

一方足枷は動きや自由になるのを邪魔、または制限するものや存在だと思っています。

つまり社会という広大なフィールドにおいて、“高校生”というロールはリードか足枷、どちらだと判断できるか。

私はリードでも足枷でもある思います。

一般に高校生はアルバイトが禁止(私の在学していた高校がそうでした)だったり、家によって門限やある程度のルールがあると思います。

門限などはまだ判断能力が成熟しきれていないという点においてリードの役割を全うできていますが、学校も行かず夜までアルバイトをしている私にとっては少なくとも足枷すぎます。それはもう邪魔。

少なくとも私の場合、リードとなるルールが時に枷になってしまうことがあるのが悩みでもあります。

早く大人になりたいよ〜なんて思ってしまうのですよ。

“限界”があること

じゃあさっさと大人になってしまおう!

いや、待て待て私。

いきなりリードか足枷かが外れたとて、あんた一体どこいく気だい?

そうなんです。私は社会を知らなさすぎて、いく宛がまるで見当つかないのです。

進学?就職?どうしたらいいんですか?

という問いに答えるのが私の課題なのですが、なかなか難問ですねぇ。受験問題の方が簡単に思えてきますよ。(冗談じゃない)

限界があることが、今の未来ある若者たちを守ってくれているわけです。そこから徐々にリードを伸ばし、または緩めることで社会を知るきっかけにしているのですね。なんでも自由になればいいってもんじゃないということを学ばせていただきました。

自由というのも考えものですね。私にとっては。

”自由”も柵

リードと足枷の話をしましたが結局のところ、

「“自由”になること」

それ自体が行動や判断を狭める柵になることすらある、というお話でした。

この記事を書くまで、何書こっかなーって時に残すメモの中に、「クレカ欲しい!」ってあったんですよ。

ばかじゃねぇのこいつ

無知というのが愚であるということは自明であるし、仮にもその状態で外に繰り出してしまえば、洗礼どころの騒ぎではなくなります。

皆様には縁もゆかりもない話ではございますが、私のようにはならないように頑張ってください。

私も少しずつではありますが善処できるようにいたしますので、何卒。

ということで今日の自堕落はこれでおしまい。

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